にこにこかいほうノート

23歳のわたしを解放してのこしたい会報hahahaいろーんなことを書きます✏️

【雑記】他人に自分の価値を依存しないことの難しさ

相手にとって自分の優先順位が低くなっていると感じる時って死にたくなりませんか。

 

例えば良く会っていた友だちと生活環境が変わったからなかなか会わなくなったり連絡の頻度が減ったり。

自分の知らないことが増えたり。

なんとなくそっけなく感じたり逆に雑に扱われてるように感じたり。

この人私に興味ないんだなと思ったり

 

全部必ず因果があるし、自分も絶対に同じようなことをしているはずなのに、なんとなく死にたくなる、みたいな。

 

本当に死にたいか?いや、別に死にたくはないんだけど、ライトに「あー死にたいかも」みたいな。

 

よく考えれば当然のことなんだけど、コンディションが少し悪いだけで、真実がどこにあるかに関わらず些細なことが致命的なダメージのように感じてしまう、特に人間関係においては。そんなことありませんか。

 

なんでそんなダメージになってしまうようになったんだろう。前はそんなことなかった気がするのに。

と思っていましたが、たぶん、これは自己の価値基準がどこかのタイミングで自分自身から離れていっちゃったのではないかなと思うのです。

 

久々の記事になりましたが、今回は少し暗めに今考えていること壁打ちの記録として残しておくことにしましたいつか読み返して「こいつ痛いな」と思ったら消すことにします。

 

学生時代、私は自己肯定感も自信もある方だったと思いますが、これは他者から評価されていたとか何かを成し遂げたからとかではなく、多分単純に自分が自分にそれなりに肯定できる生き方と行動をしていたからでしょう。平たくいうと、めちゃくちゃ楽しんでいたんだと思います。だから自分と自分の人生に価値があると信じていたのでしょう。死にたいとか思ったことほぼなかったんです。

 

ではなぜ今はこんなに繊細にBadモードなのか。(生理前だから?それは大いにあるぞ)

 

社会に出て働いて、明確に「他人からの評価」というものを受け止めなければならなくなったからではないか。

これは多分自分が自分を評価できる範囲がせまーーーくなって、他人からの評価の影響を受ける範囲が相対的にひろーーーーくなったことが原因なのかなと今は捉えています。

 

仕事ができる人、できない人

あの人はこれができたけど、この人はこれができない

あの看護師はこうしてくれたけど、君はこうしてくれない

あの新人はあれをしているのに、君はしていない

家事ができる、料理ができる、わたしはできない

生活力がある、わたしはない

苦手なことばかり、なにもできることがない

 

そんなふうに自分が自分に価値を感じられる場面が無くなり、結局他人に評価されることや大切にされること=自分自身の価値

と感じるようになったのではないかとおもっています。

 

そして、他人からどう見られるか、の捉え方が変化して、過去の自分はただ傲慢に暴走していただけにしか見えなくなり、弱い部分にしか思いを馳せられなくなり、どんどん自信はから行った結果、結果、いまは学生時代の自分全てを嫌いになってしまうほど、自分の過去には後悔と嫌悪でいっぱいです。自分の傲慢さが浮き彫りになって、醜く感じて、向き合えないし怖いのです。

 

自分で自分のことを褒めたところで、結局他人から認められないと、好かれないと、大切にされないと意味ないと感じてしまうし、寂しい気持ちや渇きは癒されないんですね。それが自分の過去の捉え方に波及しただけでしょう。簡単な話です。

 

100自分で褒められる分野で埋められたのに、その中の0.5まで自分を褒められる分野が削減されたような、そんなかんじ。当たり前っちゃ、当たり前ですね。

 

だから苦しくなるのでしょう。

全ては自分の価値を自分で決められなくなったからなんだと思います。  

 

でも多分、これが大人になる過程なんですよねきっと。周囲と、自分の気持ちと、本当に折り合いをつけていくのが大人なんだろうなといまは想像がつきます。

 

人間の間で生きている限り、人と関わることは避けられなくて、他人から見られる自分の存在も避けられない、だから価値基準を自分だけにして生きていくのは難しい。

でも、もっと成長して、完全に解き放たれなくても元に戻らなくても、また自分は自分で良いと思える日が来るといいなと思っています。過去を否定しないで良くなる日が来て欲しいです。

 

「あなたはそのままで素敵だよ」と言ってくれる他人がいればいいけど、その他人がいない時だってあるから、「自分は自分のままで素敵です」と思えないとさ。窒息しちゃいますから。

 

自分の過去まるごと受け入れて全部抱きしめて生きていける日が来たらいいなと今は思ってます。

 

私自身でジャッジして、私自身の価値を決めるのは私だと堂々と言えるような生き方をしていきたい!!!

 

そして私自身は「あなたはあなたのままでいい」と寄り添える人間になりたいなと、思っています。

来年の目標です。

 

 

久々の投稿は以上〜〜

まとまらない文章だったな〜まったくも〜〜〜

最後まで読んでくれてありがとうございます♡

 

 

p.s. 結局悪の根源はSNS、アカウント消せbyまだ僅かに残存している強気なワタシの残骸

この思いだけは誰にも負けないことにどうか気づいて

こんにちは。

 

ご無沙汰になってしまいました。

文章書くのを怠っていた間に、ほんとーーーーーーーーーーうに色んなことが起こりました。

面白いくらい。

 

ここでやっていこう!!と決めた場所は若干だいぶハラスメントっぽい感じというか、そこでがんばることで幸せになれる感じがあまりしなくて、(そして深く傷ついてしまって)辞めたし、それに伴ってボイトレのレッスン受けられる場所も無くなったし、自分の立ち上げたライブイベントは始まって終わっていくし、推しのミュージカルは始まるし、キンプリは2人になったし、EXOはアルバムを出しました(最後3つくらいどうでもいいね)

 

 

 

このタイミングでまた書こうと思ったのは、今のタイミングで書かないと私のこの気持ちは塵になって消えていくと思ったからです。

 

ほぼエゴだし、自分の思いを全面に出すことは(今回に限っては)あまりしたくなかったんだけど、どこかに残しておかないと無かったことになってしまいそうで

 

ほぼ記録みたいなものですが、残すことに意味があると、思っておきましょう。

 

 

あ、この記事のタイトルの話ですが

大好きな曲の歌詞です。

その後の「気づかせる いつか ここにいることを」の歌詞も好きです。

去年一年看護師をやってた時、押し潰されそうになりながら毎日聞いていたことを思い出します。そして仕事を辞めた今改めてきくと、また違った思いが溢れます。

 

なかなか生きるのはうまくいかないけど、この思いがあることに誰か気づいてくれたら、それだけで生きる希望だし行くべき道が見える、そんな感じがします。

 

 

さて。

昨日、私が初めて企画を立ち上げたライブ『Song wars』が無事終演しました。

 

飯山玲南

3月ごろに企画を立ち上げましたが、ことの発端は「飯山玲南という歌い手の歌をまた聴きたい」と思ったからです。

カラオケとか一緒に行けばそりゃあ聴けるけど、ちゃんとした"演奏"の形で聴きたかったし、お客さんにも聴いてほしかったからです。

私があまりに褒めるから、もはや本人には褒め言葉を信用されなくなりつつありますが、初めて彼女の歌を聴いた2018年4月某日から、もっと色んな人に届いて欲しい歌を歌う人だと、5年間ずっと思っています。

 

今回の曲たちは、ほとんど私がお願いして歌ってもらいました。今の彼女に歌ってもらうことに意味深さがあると個人的に思っていた曲をお願いしました。

 

(ちょっと話脱線しますね、ちゃんとライブの話に戻ってきます)

 

 

少し私の話をさせてください。

実は私は歌を歌いはじめてかなり長いんです。

 

4歳の時に児童合唱団に入って歌いはじめてから、ずーーーっと歌が好きです。

 

ミュージカルを始めたのは大学が初めてで、実はそれまではずっと童謡や唱歌を歌っていました。人生で1番歌った歌は、多分「故郷」です。合唱団に所属していた18年間で、多分200〜300曲くらい、覚えた歌がありました。(私の歌のスタイルを知っている人はこのルーツであることに結構納得してすると思うんだけどどうかな)

このように長く、そして多くの歌と接していて強く感じることは、歌は技術だけではないということです。

 

現在は気軽に歌唱論や歌の批評などにアクセスできることになったから、やはりわかりやすく「高音が出る」とか「音がぶれない」とかが取り沙汰されやすい気がします。技術=表現力と捉えられることも多いと思います。

 

でも、良い歌というのは、音程が正確で高音が綺麗に出てちゃんと緩急と声量がある歌ではないでしょう。

 

歌詞と曲の背景への深い理解があって、その上で自分が音楽に乗っていくこと、これがあってはじめて「良い歌」が歌えるのではないか、と私は考えています。

 

その私の思考の下地がある上で、飯山玲南という歌い手は、見事に「良い歌」を歌う人でした。そして社会人3年目の今、背景への理解にそれまでの経験と考えが乗っかって、もっと説得力のある歌になりそうだ、そんな思いで選曲をしました。

 

今回はそれらが作られる過程も共に作業しましたが、わたしの作った和訳詞をノートに書いては、「ねえ、これってどういう意味なのかな?」「どんな気持ちなのかな?」と質問をしたり、どう聞こえるか、を探究したり…並々ならぬ努力と共に飯山玲南の歌が創り上げられていることを改めて感じていたので、本番では後ろで動画を撮りながら「本当にいい歌歌うよなぁ…」と思っていました。

 

養田陸矢

そしてもう1人の歌い手、養田さんです。

この方も、5年前から良い歌を歌う人でしたが、数をこなすということは=実力を上げる、につながるのでしょう、久々に本気で歌っているのを見たけれど、格段にパワーアップしていた気がしました。

 

今回かなりあえて難しい曲を選んだので、大変だ難しいとぼやきながらも、なんだかんだどの曲ともしっかり向き合っていたようでした。

 

個人的に、前々から絶対に歌って欲しいと思っていた曲がありまして。日本版もやっていてCDも持っていたので日本語訳詞もあったのですが、あまりにも思い入れが強すぎて元の韓国語の歌詞のニュアンスを入れたくてわざわざ訳詞を作り直したりしました。ハハハ何やってんだろう私……?

 

あまりそのニュアンスを伝えきれなかった気もしていたけど、解釈を歌の技術に乗せるのが巧いタイプ、というかうまくなっていた。

 

今回彼に関しては、「"愚かなる道化"になりたいらしいけど、定期的に真面目に歌う回もあった方がいいよ。」という思いで選曲をしました。

面白いことをするのが好きな人なので、出演していたライブでも、真面目に真面目に歌い込むことをするよいうよりかは、エンタメ性に富んだことをたくさん考えて演じて歌って…としている印象で、だからこそ今回は"歌"に焦点を当てたかった、というのが本音ですかね…

 

 

純粋に歌で勝負するのって、ハードル高いし難しいと思います。なにかコンセプトや歌以外の注目ポイントがある方がエンタメとしては成立させやすいのも事実ですが、

 

でも、歌だけでエンターテイメントとして成立させることのできる歌を歌う2人だ(と私は思っている)からこそ、歌のライブにしたかったんだ…などと思っています。

 

 

(今回私の歌も聴きたくなったよと言ってくださった方がいらっしゃって、とても嬉しかったです。そして私は、もしいつかおなじステージに立つ日が来ても、私はこのようには歌えないだろうなと思いもしました。その時はおとなしく、『地上の星/中島みゆき』を地獄の底から歌うことにしますね)

 

吉岡琴乃

彼女はすごいピアニストです。

演出を学んで来ているのと、ミュージカルを誰よりも愛している方なので、演出や見え方、楽曲理解に感じても誰よりも熱く、こだわりを持っています。

だからリハーサルの時から、細かいことによく気がついて、シンガー2人がよりよくなるような楽曲についてのアドバイスも、演出がよりよくなるような演奏の提案もたくさんしてくださいました。

もともとは養田さんのお知り合いでそこから紹介してもらったんですけど、本当に良い出会いだったしこの縁を続けていきたいと心から思わせてくれる、そんなピアニストです。

 

本当に、自分が歌ってるみたいに弾くんですよ。演奏で空気を変える力がある方だと思っています。私より年下なのに。

音楽のプロだから、楽譜の読み方もシンガーには気づきにくいところをキャッチしていたり。一緒に表現してくれるピアニストで、琴乃さんのピアノが本当に本当に大好きになりました。

 

今回、ほんとうに色々色々やりました。とてつもない胆力がいるけど、楽しかったのも事実です。

そういや公演打つのって大変なことだったな〜と思い出しながらも、満杯のお客さんをみて、「ヒャ〜エンタメが成立してしまっている〜ドウシヨ〜〜」と他人事のように見つめていました。途中手が震えて仕方がなかったです。

エンタメというのはお客さんがいないと成立しません。だから昨日のあの光景は私が初めて「エンタメをやった」という証として心に刻まれるんだと思います。

 

私の思いを直接届けたいとか気づいて欲しいとはもう思わなくて、ただただ、あのステージすべてが私の思いの表れだったような気がします。暑苦しくて拙いけど芯はあった‥…でしょう……!!!!

 

 

これからどう生きていくのかはまだわからないけど、わたしはずっとコレが好きなんだろう。愛しちゃってんだな。きっと!!!!!!!!!!!!!!

 

最後になりましたが、出演してくれた3人と、来てくださったお客様に改めて感謝の気持ちを大声で主張したいと思います。

本当にありがとうございました!

またいつかどこかでやりたいです。

そして私も少し歌ってみたくなったので、もしその日が来たら、お付き合いくださいね〜

 

それでは!ありがとうございました!!

 

 

 

 

とわに踊れ

※出だしポエミィ

 

散々待ったって言うのに、「規定の変更で」という一言でまた2年近く会えなくなる。いずれ来るお知らせでも、今じゃないと思っていた。

本人も今日知ったって、そんなことあっていいわけないでしょうが、この21世紀に。

画面の向こうで「僕、軍隊に行くよ、泣かないよ」と涙を流す大切なあなたへ大きな愛を送ります

 

 

 

……すみません、言いたいだけです。

 

5/4、私の最愛グループのメンバーの1人が、5/11に入隊し、1年9ヶ月の国防の義務遂行することが発表されました。

 

(スケジュールどうするつもりやってん?っていう心の叫びは一旦置いといて)

 

韓国の人だからね。他のメンバーの兵役、送り出しとお迎え、6人分を見届けてきましたし、私の王子様最推しは去年の2月に帰還してますから、もう平気だしあとは呑気にみんなの帰りを待つか〜と思ってたんです。

 

 

しかーし

 

例に漏れずしっかりとダメージを食らってしまった。ので、

 

今回はエンターテイメントと平和について、私と同じようにエンターテイメントを楽しんでいるみなさんと話したり私の思いを聞いてもらったりできたら良いなぁと思って、この私の5月大事件TOPに君臨するであろう"推しの電撃入隊事件"を通して考えたことを、彼が入隊する今日に合わせて文章に残すことにしました。

(韓国のエンタメに全然触れたことがない人も、読んでもらえたら嬉しいなぁ)

 

兵役って、なんぞ。

※当方専門アカウントでもなんでもございませんので詳しくは書けません

 

KPOPや韓国ドラマなど、韓国コンテンツ(特に男性)が好きな人にはかなり一般的な"兵役"という言葉ですが、こと現代日本においてはあまり馴染みはなく、歴史の授業などで学んだ太平洋戦争などと結びついて想起されるひとは多いんじゃないかなと思います。

 

韓国では、今現在においても、成人男性は国が定めた規定にそった期間軍に所属し、決められた軍事訓練を受けて国防の義務を果たすことが義務付けられています。銃持ったり毒ガス室入ったりするわけです。(例外はあるみたい。軍所属でもいろいろあるみたいですが私もよくわかってはないので気になる人は調べてみてね🫶🏻※急な無責任ムーブ

 

それは、1950年〜1953年まで朝鮮半島にて勃発した朝鮮戦争が、未だ終戦しておらず休戦中であるということが関係しており、芸能人もほとんどの場合例外なく入隊します。

 

推しと兵役とエンターテイメントと芸術と

こうして韓国のコンテンツをたくさん享受できていると、韓国が未だ戦争状態であることを忘れてしまいます。

推したちの兵役も、何度も経験すると「おっ、そうか…寂しいけど待ってるね」と、こんなふうになっていくわけでございます。

 

でも、昨日まで派手髪で歌い踊っていた推したちが、今日は頭を丸刈りにして軍隊に入る準備をしている姿を見て、ふと切なさ、虚しさのようなものが襲ってきたのです。

 

冒頭に挙げた彼(記事を一般化するためにあえて彼と書きます)は、1994年生まれの29歳で、どちらにしても近いうちに兵役に行く予定でした。

 

しかし、従来5回延長していた入隊の期限が色々あって(いろいろあって)2回までの延長までとなった結果、ファンも、所属事務所も、本人でさえも"入隊の1週間前までその事実を知らない"という、突然の発表になったようです。

 

3枚目のソロアルバムの活動も大成功を納め、所属グループでの久しぶりのアルバム活動やソロコンサートも予定されていた矢先のことでした。

 

準備していたこと、やりたかったこと、この先にやってくる兵役のためにスケジュールを詰め詰めにしてたくさんやることあっただろうに、そうか、そういうのは関係なく、兵役はやってくるんだなぁ。そう思いました。

 

でもこの虚しさって、なんなんなんでしょう。

規定変更した国のせい、確認不足な事務所のせい、答えはいろいろあって然るべきでしょうが、私はそのどれでもなく、「戦争に打ち砕かれるエンターテイメント」という構図を見てしまったから、だと結論づけました。

 

少し余談をしよう

私の好きな映画に「Swing kids」という映画があります。韓国側の強制収容所北朝鮮の捕虜として暮らす躍りを愛する主人公が、敵国アメリカの踊りであるタップダンスと出会う物語です。

あまり詳しく書くとネタバレになるからさらっとにしますが、エンターテイメントとか芸術って、結局平和ありきなんですよね。どんなに才能があっても、どんなに素敵なものを生み出せるとしても、平和じゃなかったら、その人物や作品たちは世に出ることはないしわたしたちが楽しむこともできない。

 

エンターテイメントを生産することも消費することも、夢を叶えることも、結局はそれを純粋に楽しめる環境があるかどうか、そんなことを考えた作品でした。

 

エンターテイメントと戦争は対極にある

上でも少し触れたように、エンターテイメントはそれを楽しめる環境が前提としてある上で成り立ちます。

人員的にもコスト的にも、平和じゃなくなっていくにつれて、エンタメに割けるリソースは少なくなっていきますよねきっと。そういった点でもエンタメと戦争の対極性は表せると思います。

 

表現という点からもそうです。

 

日本でも、戦時中は外来語が含まれる歌は禁止になったりしたし、「たき火」という童謡は街中でたき火をすると爆撃の標的になるからダメだ、というお叱りが入り放送中止になったりした歴史があったりします。

 

一方で映画や音楽を戦争と結びつけて国民の士気を高める、みたいなこともありますよね。映画や音楽はエンターテイメントだけれども、果たしてそれはエンターテイメントなのでしょうか。

 

私は、日本の片隅に生きている一個人としては、エンターテイメントの真髄は誰もが・自由に・作ることも触れることも楽しめること、だと考えています。

 

だから、表現の幅が規制されたり、どういうものをどう解釈しなきゃいけない、と第三者が規定するのは、エンターテイメントではないと思うのです。

 

こんなところからも、エンターテイメントと戦争は対極にあると考えたりしました。

 

私たちの日常とエンターテイメント

確かに今は日本や韓国は"戦時中"ではないし市街地で銃撃戦が起こることはない。※ウクライナやロシアは"戦時中"にあたりますが

 

でも、現に韓国はまだ兵役があるわけで、日本にはミサイルがとんできてJアラートが鳴ったりするわけです。

 

コロナ禍でもそうだったように、有事の際エンターテイメントの優先順位は低くなります。

それが悪いとは思わないんです。国防は大事。

 

でも、どんなに準備しても頑張ってもそうやって平和(国防)のために握りつぶされるしかない努力とエンタメが確かに存在してしまっていて、その背景には確かに戦争があるわけなんだなぁと思うと…しんどすぎるなぁ……

 

 

そうではないとわかっていても、これから生み出されるはずだったエンターテイメントは「重要ではない」と言われているような気がして。

 

だけど、私たちの日常とエンターテイメントって、思ってるよりも深く、ふかーーーーーく結びついてると思うんです。

 

たとえば

演劇をみて初めての感情に出会ったり

音楽と自分を共振させたり

絵を見た時に何かを思い出したり

踊りで何かを表現したり

 

こんな時に、エンターテイメントと自分の日常を共に過ごします

 

だから、今私たちが当たり前に感じている心の豊かさや幸せは、エンターテイメントを通して受けているものも多いんじゃないかなぁと思ったりするわけです。

 

今感じている日常を送れているからこそエンタメが楽しめる環境であるといえるし、エンタメがあるからこそ日常であるともいえて、それぞれが相互に作用しているともいえるかな………………?

 

 

 

なにが言いたかったかうまくまとまらないけれど。そんな日常を、微力だけど、守っていきたい、守らねばならないと思ったのです。

 

それは、推したちにまた踊ってほしいからだし、自分がエンタメを楽しみたいからだし、みんながエンタメによる日常を幸せに過ごしてほしいからだし、私がエンタメを愛しているからです!!!!!!!

 

そのためになにができるかは、ゆっくり考えていこう、そんな風なことを考えた、今回の"推しの電撃入隊事件"でした。(今すぐ考えなきゃいけないかな)

 

最後に

 

冒頭から言及している"彼"について書きたいと思います。

 

"彼"とは、EXOのKAI、韓国で頂点に上り詰めたグループのセンターでありメインダンサーでしす。8歳から始めたバレエがルーツなダンスで人々を魅了し、なによりも踊るのが好き、舞台に立つのが好き、オリンピックの閉会式でソロダンスを披露したりする、ダンスの神様の寵愛を受けているような子です。

 

歌とダンスと芸術を愛してそれを私たちにずっとみせてきてくれた彼が、戦うためにエンタメと対極の場所に行くこと、踊ることを約2年近く奪われる(少なくとも今までのように人前で踊ることは奪われる)ということは、なんて残酷なんだろうと思いました。

 

自分が2年歌うなって言われたら発狂しちゃうもん!!!!!!!

 

 

 

でも、彼がKAIとして舞台で踊れるようになるまでに、韓国が有事に陥らない保証はどこにもなく。そのために私が直接的にできることもほとんどなく。私はただ祈って、彼が帰ってきた時におかえりということしかできないわけです。

なんて受け身なんだろう。

 

だけど、彼がいなくても韓国芸能界は進んでくし、EXOは多分彼なしでもアルバム出すでしょう。それでもこんなに寂しいのは、エンタメが1対多数であるのと同時に1対1の産物でもあるからじゃないかなと思うのです。

 

彼は1週間前の入隊発表後、組んであったであろうスケジュールの合間を縫ってたくさんインスタライブをしてくれたり、所属事務所の偉い人の眉間のシワを押し込んで脅迫(彼が言うに脅迫)して無料の緊急ファンミーティングを開いてくれました。

 

 

ファンミーティング中に出てきたケーキで、不在になる1年9ヶ月の間の祝い事を全部祝う!!!と言い出し、「♪誕生日デビュー日ファンの誕生日俺の誕生日新年年末1位昇進朝昼夕食退社おめでとう〜お誕生日デビュー日ファンの誕生日……」とほぼラップと化したおめでとうソングを歌う姿、そして彼のパフォーマンスを見た時、とても変な考えかもしれないけど、彼は自分のためにファンのためにグループのために踊っているけど、きっとこんな暗い部屋で燻っているわたしのためにも踊ってくれているんだろう。そんな気がした

 

KAIというアーティストが好きだけど、きっとそれは彼が全世界との1対1も大切にするパフォーマンスをするからかな。そんなことを思った。

 

なるほどエンターテイメントは人間が多数に向けて作り出すものだけど、その真髄には「あなた」のためのエンターテイメントがあり目の前の「あなた」をみんなが大切にするのが、エンターテイメントとともに過ごす日常を続けるために大切なのかも。

 

↑これは今書きながら思ったことです。綺麗事だし深掘りもできないけど。私も目前の「あなた」に向けたエンタメ、したいな。

 

長くなりましたが、最後に私の心の叫びを成仏させにかかって今回のにこにこかいほうノートを終わります。

 

 

 

わたしはEXOが好きだ。めちゃくちゃ好きだ。そんなグループのセンターが兵役に行く。泣き虫な人と泣き虫なファンダムだから、私も画面の前で泣いちゃうかなと思ったけど、彼があまりにも幸せそうに笑うので泣けなかった。

 

彼は踊るために地上に舞い降りた天使であるはずなのに、どうして軍隊なんかに行くんだろう。

 

それでも彼は私たちの幸せを願いながら踊ってくれるのだ。

 

これからの平和への祈りを込めて。

 

そして、最大級のありがとうと愛してるを込めて、

 

永遠に踊れ、キムジョンイン。

 

 

 

※私のKAI(キムジョンイン)の好き動画いくつか置いておくからみてね↓↓

https://https://youtu.be/-d8U4H825s4

https://https://youtu.be/UKCKn5RhbAw

https://https://https://youtu.be/xiifjlrtHfM

https://https://youtu.be/AQGvxLWwZqI

https://https://youtu.be/U_OYCSeE9R8

 

DIVAを視認した

みなさんこんにちは。

今日はGWの振り返り(遅い)

軽めの備忘録です。

先日わたくしは、DIVAを視認してきました。

 

みなさんDIVAってなにかわかりますか??

 

DIVAとは=成功した女性歌手、特にオペラ界で卓越した存在となっている者を指す表現で、広くは、演劇映画ポピュラー音楽などの分野にも拡張して用いられる。(Wikipediaより) 

 

Wikipedia先生はこう言っていますが、まあめーーーちゃすごい歌姫を超えた歌女王だと思っていただければいいです。

 

今回は、そのめーーーーちゃすごい歌女王たちを拝んできた、オタクの鳴き声だと思って読んでください🐷

 

日韓DIVAコンサート

先日、上野の東京文化会館で行われた、Musical Meets Symphony 2023 DIVA コンサートに参戦してきました。

 

わたくしのウォッチング時間が長いエンターテイメント分野二代巨頭は、ミュージカルとK-エンターテイメントでして、これは他の追随を許しません。

そしてそのK-エンターテイメントにおけるミュージカル分野も、例に漏れず大好きなわけでございます。

 

今回の日韓DIVAコンサートは、日本のミュージカル界の人気女優、新妻聖子さん・真彩希帆さんと、韓国ミュージカル界の人気女優、キムソヒャンさん・オクジュヒョンさんのの4人が出演され、フルオーケストラで大曲を歌い尽くすというなんとも狂気的(ほめてる)なコンサートでした。

 

韓国から来日されるお二人の名前を見たときに、(もちろん日本からのお二人も好きですよ)これは絶対に行かねばならない。行かなければ死なない。とすら思いました。

 

 

なぜか?

キムソヒャンさんのファンだからですよ!!!

 

 

一旦キムソヒャンさんについて語らせてくれ

キムソヒャンさんは、デビュー22年目、アンサンブルから叩き上げでトップミュージカル女優になられた方で、何本も主演ミュージカルをされていたり、シスターアクトの全米ツアーキャストでもあります。

 

 

 

私がソヒャンさんに一目惚れしたのは、、忘れもしない2020年の1月、ミュージカル「笑う男」の制作発表(みたいなやつ)生配信のことです。

もちろんその前もK-musicalウォッチングはそれなりにしていたのですが、わざわざ配信まで観に行ったのは、私の最愛の推しが出演しているミュージカルだったからでした。

 

もちろん推しもめちゃよかった。

なんか1人でマイク握りしめて一生懸命歌ってて愛おしかったです(余談)

 

 

でも

 

 

その日わたしの心に強烈に印象を残したのは、他でもないキムソヒャンさんでした。

言葉も満足にわからないのに、世界観に引き込むその表現力、天井知らずの歌声、クラブか?ってくらい共演者さえも湧かせてしまうパフォーマンス力に度肝を抜かれ、(推しのために画面録画したのに)なんどもなんども映像を見返すほど心を奪われたのでした。

 

しかしながらコロナもありなかなか渡韓もできず。Kpopのアーティストと違って来日公演をすることもない存在でしたから、いつか生で歌を聴きたい…渡韓……いつかミュージカル渡韓………と亡霊のように思っていたら、チャンスが巡ってきたのです。

 

 

キムソヒャンさんの歌を!!!!日本にいながらにして聴けるだと!?!?しかもオクジュヒョンさんも!?!?行くしかない!!!!

となって迎えた当日。

 

私はDIVAを視認したわけです。

 

 

DIVAはやっぱりDIVAだった

最初コンサートタイトルを見た時に、自らタイトルに"DIVA"がついてるってなかなか強気でおもろいなぁ〜くらいに思っていました。

 

でも強気にDIVAを名乗るだけありますね。

ちゃんとそこにはDIVAがいましたよ。

 

途中のMCタイムで新妻聖子さんも言っていたのですが、

「ぜんぶのミュージカルのぜんぶのクライマックスの曲を全部歌ってるからほんとずっと緞帳おりてる」

と、ほんとうにこのコンサートじゃなきゃこのセットリストにはしないだろうな、という激重ミュージカルの大曲・難曲勢揃い。

それでも最後まで飽きずに聴けてしまう歌唱力は圧巻でした。

 

ほんっっっと、すごかったなぁ……

同行した友人と、何がどう違うんだ、と数時間(かた焼きそばをたべながら)語り合ってしまうほど………

 

今でも夢の中にいるみたい。

 

個人的な好みではあるかもだけど、最近のミュージカル市場は、韓国でやった作品日本にもってきて、わかりきったようなキャストで

新たに日本初演をすることが多いですよね。

今日発表されたベートーヴェンしかり………

 

 

日本もおもろくてパワフルな作品を作りたいね。そしてその一端を担いたい、しあんなふうに歌えるようになりたい!!!!!

と強く思った日でした。

 

*ソヒャンさんに終演後DMしたら返信きてまじでやばかった

 

 

それではまた〜〜

 

お仕事をやめました

仕事をやめました

みなさんこんにちは。お仕事をやめました。

 

1年前に看護師資格を取って、必死に働いていました、看護師として!

 

素敵なナースではなかったかもしれないけど、それなりにちゃんと新人看護師をしておりました。少なくとも「いつもニコニコ頑張ってたから、辞めると思ってなくて…」と師長に言われるくらいには…

 

え、なんでやめたん?という疑問を持った人もそうでない人も、私の頭の中を覗いてってくださいな。

 

やめた理由その1   人間夜は働くもんじゃない

ほんとに。ヒト科ヒト属ヒト、夜は働くもんじゃないです。

 

看護師という職業は、(働く場所はたくさんあるにせよ)免許をとって最初の数年は、たいてい"病棟"という場所で働きます。みんなが「入院する」と聞いて想像するような場所でOKです。あそこが病棟です。

 

病棟看護師はたいてい、2交代制もしくは3交代制の変則シフトです。

  1. 2交代制→日勤(朝〜夕方の8時間)、夜勤(夕方〜朝の16時間)
  2. 3交代制→日勤(朝〜夕方の8時間)、準夜勤(夕方〜深夜の8時間)、深夜勤(深夜〜朝の8時間)

大抵どの病院もこんな感じだと思います。知らんけど。厳密に言うとこれに早番遅番など加わりシフトが完成しますが、おおまかにこんな感じと思ってください。

私の病棟は1の2交代制でした。

(前提の説明終了)

 

1ヶ月に日勤+4〜5回夜勤をする計算です。

 

 

……………

 

 

夜勤、顕著に体調を崩す

 

体調がシンプルに悪くなります。まず勤務時間が長いんですよ。夜が。とんでもなく。

 

「夜勤長いって言っても、ゆうて夜やることそんなないでしょ〜?」

 

ノンノンノン。

6時から朝の巡回を始める頃にはゾンビのようになります。そんな看護師たちがナースステーションから解き放たれてゆくのです。こわいね。

 

そんなわけで、私の身体はそんなこんなに耐えられず、不調を訴えていきました。(自分では体力あるほうだと思ってたし夜型人間だと思ってたので、夜勤だけが原因ではないと思うけど)

 

私が具体的に覚えた体調不良↓

①吐き気:毎回吐きそうになりながら朝の巡回をしていました。そんな奴に元気に起こされる患者さんも可哀想ですね……

②頭痛:へんな頭痛がずっとする。患者さんに1〜10でいうとどのくらいの痛みですか?って聞きまくってたけど、その度にワタシもつねに5くらい頭痛いヨと思ってた

③月経不順:もともと月経不順ではあったんですけど、何ヶ月単位で来ない、とかね。ホルモンバランスの問題なんでしょうか

④突如号泣する:母に何度号泣TELしたことか。ごめんね母

 

こんな感じでした。実は退職する前に2ヶ月くらい休職してました。が、休職を決心したのは、夜勤の朝の巡回前にダウンしたことが大きかったです。

 

いや〜働かないほうがいいよ。夜は。

 

 

 

やめた理由その2    看護師、向いていない

わたし、看護師向いてなかったっぽいんです。

ナースになる前は、結構看護師向いてるって言ってくれる人も多かったし、実際なった後もいい看護師になれるよ。って先輩に言われたり。

漠然と、いけるかなーって思ってました。

 

でも、親とか意外と付き合いが長くかつ私のことを深く知ってる人には、ほんとに大丈夫なの?って言われたりすることも、あったには、あった。

 

でも、それに対しては、看護師に必要な使命感とか倫理観とか道徳観とか、そういうことに対しての不安はなかったし、優しいとか面倒見がいいとか、言ってくれる人も多かったので、いけると思ってたんです。学生時代介護施設で働いてたしね。

 

でも、私の"そういった部分"と看護師という職業はマッチしてたかもしれないけど、私が"幸せに生きるために"看護師という職を選ぶべきかと言われれば、そうではなかったようで。

 

 

それは、他にやりたいことがあるから、とかとは別の話です。うまく表せられないんだけど、今後のためにも、綴ります。

 

まず、看護師として生き抜いていくためには、精神的にも体力的にも、タフさが必要です。私がどっちも柔だったってことではなく、看護師に向いてるタフさではなかった、と解釈しています。

(個人的には、精神的なタフさの方が重要かなと思う。体力的には慣れてきたら緩和されたりもするだろうから)

 

 

"看護師に向いている"精神的なタフさとは?

私は病棟配属で、緩和ケア病棟に配属されました。がんの患者さんの中で、がんを治すための治療を辞めて、がんによって引き起こされる症状に対する対症療法のみを行う方だけが御入院される病棟で、呼吸が止まっても蘇生はせず患者さんを看取る、いわゆるホスピスのような場所でした。

 

ですから、自然と患者さんをお看取りする回数も多くなりますし、治療して元気に退院される方はほとんどおらず、殆どがご出棺という形での退院になります。

 

入院してきた時には自分で歩いて、食べて、と過ごしていた患者さんが、だんだん歩けなくなり、食べれなくなり、弱っていくのを、側で見守り、苦痛なく過ごすことをお手伝いしていました。やりがいはあると思います、看護師の役目はなにか、自分にはどんなことができるか、すごく考えたましたから。

 

でも、その患者さんたちや患者さんの家族との関わりを、自分の心にひとつひとつ丁寧にフィードバックしていたら、たぶん、もたないんだと思います。

 

 

例えば、血圧も下がり、もう後少しの命だろう、という患者さんがいるとします。家族は心配で、何日も何日も付き添っていて、疲れが溜まっています。「看護師さん、明日の朝まで持ちそうですか?今日はもう帰ろうかなって。明日の朝また来ますから」とご家族に言われました。「油断はできない状況ですし、いつ最期になってもおかしくないと思います。血圧は昼間と比べても変わってはいないです。変化があればご連絡することは可能です。」と答えたとします。

ご家族は、「そうですか、そうしたらなにか変化があったらすぐ教えてください。また明日の朝来ますね。」と家に帰りました。

そこからこまめに巡回はしたものの特に変わらず、様子を見ていました。するとある巡回のとき、1時間前には変わらなかったのに、呼吸も脈もとても弱くなっています。

 

ご家族に連絡しても、ご家族の到着前に、その方は息を引き取ったとしたら、私は「私がもう少し強く引き留めていればよかったのに」「私がもっと工夫して呼吸を観察していればよかったのに」と、とても罪の意識を感じるんです。

 

先輩からのフィードバックで指摘されれば、尚更です。

 

 

そうやって一つ一つの出来事と自分の看護との因果を結びつけて、反省して、っていうのを、(死に関係してなくても)傲慢にもいちいち毎回やっていたわけですね。患者や患者家族に怒鳴られたときも、自分のどこが悪かっただろう。なにが至らなかっただろう。というところで。

 

 

これって多分、看護師の倫理的には良いことなんですよ。「運が悪かったな」と思うよりは。

でも、看護師として自分が幸せに日常を過ごせるかという点ではバツです。そういうのを全部自責で考えていると、自己嫌悪の渦に陥って、「ああなんて自分はダメな看護師なんだろう」って思うわけです。まだ新入生なのにね!?!?

 

 

こんなんじゃダメだダメだダメだ………と思って、めきめきと出来る様になるならまだいい。けど、そんなうまくはいかない。そうしたらどうなるか

 

 

 

そう!!!病むわけです!!!!!

 

 

 

 

見事に病み散らかしました。自分の心を守るためには、一つ一つに共鳴するより、「そんなこともあった」という一つの症例として消化していく必要があるんだと思います。

でもさ。よく考えよう。この性質って変えられなくない??ここから私が「まあ運が悪かったか」「次に生かそう」って思える日って多分来ないな。いや、来るかも知れないけど、それは果たして私なのか………?

 

 

 

こんなことを考えて、ウン、私は"看護師に向いている"かもしれないけど、"看護師をするのには向いていない"んだなと思ったわけです。

 

 

自分の心と身体の健康と、幸せの観点から…

 

やめた理由その3   エンタメゾンビすぎた

看護師してた約1年間、わたしはエンタメのゾンビと化していました。

 

わたしは生まれてこのかた、エンターテイメントが大好きです。

 

エンタメやる側が好きです。小さいころから歌うのが好きでした。4歳の頃からずーーーっと、合唱団で舞台に立って歌っていました。ミュージカルも好きでした。

 

高校受験生のとき、勉強しようと机に向かうものの、すぐにイヤホンをつけてWickedのサントラを聴き、勉強そっちのけで歌ってました。

大空高く舞い上がってたんですわ。

 

(よく高校入れたよね)

 

 

エンタメ観る側が好きです。歌ったり踊ったり演じたりするコンテンツが大好きです。日本のエンタメだけでは飽き足らず、ある時突然KPOPに目覚め、今や韓国コンテンツオタクと言えるくらいにまでなってしまいました。

 

そんな今でも、日本のコンテンツも韓国のコンテンツも、他の国のコンテンツもぜーーーんぶちゃんと好きですし、エンタメの虜です。

(初めて好きになった芸能人は多分櫻井翔)

 

 

そして大学でミュージカルサークルに所属してわかったことがあります。エンタメを創る側も好きだということです。

企画練ったり、演出させてもらったり、ちょこっと台本を書いてみたり(これはほんとにちょこっと)。譜読みが苦手なのに意地張って楽譜作ったり。全部好きでした。楽しかったです。24時間そのことを考えていられるし、何時間でも没頭できました。

 

 

でも、看護師になったとたんに、それらがなくなったんです。働く前は、月2回のボイトレは一応続けるし、カラオケも行ったり、舞台見に行ったり、まあ大丈夫だろう。と思ってました。

 

 

でも!!!ダメでした!!!18年くらいずーーっと行っていたことがほぼ0になって、消毒の匂いのする場所にずーーーーっといることになるわけです。(日常変わりすぎ)

 

 

歌うことが好きなんだけど、それに加えてエンタメを作り出すこと、自分が演者としてでなくてもエンタメをどこかに向かって発射させることが好きだったという最悪な人間ですから、「自分が演者として食べていくのは無理だ」と割り切ることも出来ず、時間が経てば経つほど、看護師として働けば働くほど、ただただエンタメへの未練から作り出されたα級ゾンビみたいな産物と化していったわけです。

 

私の心「お願いだ私にエンタメをさせてくれ……」

 

 

そんなわけで

  1. 人間夜働くもんじゃない
  2. 看護師向いてない
  3. エンタメゾンビすぎる

こんなかんじの理由で、わたしは仕事やめることに決めました。

 

うーん、正確には、これらの理由、というよりかは、これらの理由をもとに、「来年死んだらどうしよう?」と思った時、このまま死にたくないなぁと思ったからです。

 

看護師は、3年働くとセカンドキャリアに大きな幅が出ます。だから、何度も、あと2年だけ踏ん張ってみて、それからやろう。と思いました。

でも、その日が来る前に、死ぬかも知れないじゃないですか。死なないかも知れないけど。

 

このまま死んだら、いやだな!!!!!

 

 

そんなことを考えていたときに、

「看護師資格なんて付加価値として使ってナンボでは?」

「自分がやりたいと思うこと、五兎六兎追ってみる方が、結果的にいいんですよ」

「エンタメの未練はエンタメでしか果たせません」

と、言葉をかけられました。(言ってくれたのは全部別の人です)

 

 

舞台袖から舞台上へ、ドーンって押されて飛び出ちゃったような。そんな気分でした。

 

理性だけで考えるとね、絶対に選ばないと思うんです、お金のこともあるし。

 

でも、やっぱり私は私として幸せになりたいと思ったんです。彷徨ってみて、結局看護師が私の幸せになる方法ならそれでいいけど。

 

いつ死んでもいいように。

 

私は仕事をやめました。

 

 

 

わたしこれから先どうしようか

 

仕事やめたけど、これからどうしようか?

何も決めてない、無計画なんです。

すこーしだけボイトレの先生のお手伝いをしたりする予定はあるけど、何して生きていくかてんで無計画です。

今は親に頭を下げて、なんとか実家で暮らしています。(ごめんね両親)

 

 

歌も続けたいな。お芝居もしてみたいな。踊りをもっと好きになりたいな。

 

ブロードウェイやウエストエンド、フランスや韓国にミュージカルを観に行きたいな。

 

脚本を書いてみたいな。私が歌ってほしい人に歌ってもらえる場を作りたいな。人に楽しんでもらえるエンタメを考えたいな。

 

やってみたいことがたくさんあって、このにこにこかいほうノートは、その第一歩です。

 

 

私を解放してみることで、なにが変わるのか、それはわからないけど、みんなに話したいこと、私が聞いてもらいたいこと、考えたいこと、みんなの考えを聞きたいこと、そんなことを書き留めていこうとおもいます。

 

 

いつか読み返して恥ずかしくなるね!!!!

 

ええ、23歳の私をインターネットのゴミの一つとして残しておくことにいたしましょう。

 

 

ここまで読んでくれたアナタ、凄すぎます。

ありがとうございます。

 

 

今回はまじめに自分のことを書いたけど、今後は雑多にいろいろ触れてゆくので、みなさまお楽しみに〜👋